火曜・水曜は東京にてレッスン。3コマ+7コマと今週も多くの方にご利用・お越し頂き有難うございました。休みなしで疲れたのか、水曜のレッスンは舌をかんだり、口がもつれる事多発でした。気圧が下がっていたためか私もお越しの方も調子は今ひとつでした。天変地異の前触れでないことを祈りたいと思います(東日本大地震の直前のレッスンでそういう感じがあったので)
今週は楽器店に所用があり火曜に愛知県から戻ってきた。新幹線内で新しい記事を仕上げることができた。Facebookにも書いたが「近未来のヴァイオリン指導」シリーズの3回目で「情報の観点からのヴァイオリンの指導」のタイトルで書かせて頂いた。よろしければご覧ください。
情報の観点からのヴァイオリンの指導〜近未来のヴァイオリンの指導3 ヴァイオリン教室「ヴァイオリンがわかる!」
ヴァイオリンを習うことについて。先生の探し方、教本について、大人からヴァイオリンを始めること、続けることがしんどくなった時についてなど
オンラインレッスンをするにあたって「ヴァイオリンの指導とはどういうことか」を考え直したが、自分の中で漠然と考えていたことを誰にでも分かる文章にするのはなかなか困難なこと。そして、可能な限り短い文章にすることに苦心した。
ヴァイオリンの指導も情報伝達だ。シナプスの神経伝達物質の働きに過ぎないことだ。そこに立ち返ると、情報機器に乗せられることと乗せにくいことに整理できるように思え、言語化できる技術と言語化しにくい技術で切り分けが可能とまとまった事は発見だった。ヴァイオリンのレッスンはあれもこれも「言葉にできない」ことのように思われがちだからだ(だから教える側はオンラインレッスンを嫌がる)。
言語化できない命題は、例えばストラディヴァリとグァダニーニの音の違いを示しなさいというようなプロの演奏家でも答えが一貫しないような命題。自分はその違いにこだわっているが、でもそれをどれほど多くの人が必要とするか?そこを言語化することに意味があるか?
いろいろ考えさせられました。お役立て頂ければ幸いです。