火曜は東京にてレッスン2コマ。年末のお忙しいところお越し&ご利用頂き有難うございました。予想していたよりとても良くなった印象で私としても嬉しく思いました^^。

玄関先もクリスマスからお正月の色合いに(一部クリスマス流用)
年内に何とかサイト更新できた(新幹線のS-Work席で頑張って書きました。今回の記事はなかなかまとまりませんでした)。Facebookにも書いたが「目指すべき音色」シリーズの第4回「包み込まれるような音量:目指すべき音色4」のタイトルで書かせて頂いた。よろしければご覧ください。
クラシック音楽はホール音響があって成り立つ。ホールは大変に大掛かりな装置だが、ホールの持つ音の広がりと残響があってはじめてクラシック音楽の音が成り立つ。演奏する時も楽器を選ぶ時も音の広がりや残響を意識する必要はあるだろう。これらを含めて「目指すべき音色」になるためだ。
スタイナーやアマティ、アンドレア・グァルネリなどストラディヴァリよりも古い楽器はストラドより広がる音を持っている(胴体の大きな膨らみの理由でもあると思う)。弓もトルテの初期のものは直線的な出方より広がる音の出方を目指しているように思える。その方がクラシック音楽のあり方としては適切にも思える。
広がる音は臨場感を増す。実際にそれを狙ってサラウンドシステムが販売されている。また人工的に残響を付ける装置(リバーブ)も販売されている。ホールを使わなくても立体音響や響きの変化は聴き手を別世界に連れていく装置の一つになりうるのだろう。
キリスト教の装置とは、さらには信仰とはというお話にまで広がってしまうので、なかなかまとまらなかった(この日記の上記文章もまとまっていない)。でも、音響的に別世界に連れていく意識が無いと魔力を持つ音楽にはなり得ないものとも思う。
演奏は・楽器は・音楽は進化しているのか?退化しているのか?にも通じる、自分では大変に興味深いテーマだ。