土曜は東京、日曜は愛知にてレッスン。東京は8コマと大盛況、愛知は5コマと比較的余裕の日程でした。多くの方にご利用+お越し頂き有難うございました。
新幹線に乗ることも愛知の実家に来るのも3ヶ月ぶり。様々な雑務やら実家にてオンラインレッスンが充分な品質でできるか検証なども。通信速度が遅かった実家のルータを再起動したら250Mbps以上の速い通信速度になりました(通信速度が出ない方は通信機器の再起動はおすすめかも。電源を引っこ抜いて差し込み直すだけです)。この速度なら全然問題なくオンラインレッスンができます^^。
久しぶりに乗った新幹線。新横浜を出ても同じ車両には6人だけ。
世の中の復旧はまだまだですし完全復旧する日は来ないのかもしれません。
東京駅ホームは閑散。朝7時とは言え、まだ世の中は緊急事態のまま。
オールドボウをお使いの長年お越しの方と「弓による音楽の変化」のお話をした。こういう話は楽しい。同じヴァイオリンでも合わせる弓によって音色や表情が変わるが、その音色がマッチする音楽もあればアンマッチな音楽もある。
教える側としては音楽と楽器・弓がアンマッチだと「あっちを膨らませて」「こっちにヴィブラートをかけて」など色々言いたくなるが、マッチしていれば「余計なことはやらないで、楽譜通り弾けばいいから」と言う指導(?)だけで済む。
もちろん音程やリズム、基本的なボウイングなどが充分できた上での話だが、楽器によって音楽が良くなったのならそれ以上の不要な事はやらせないのが良心的な指導だろう。逆に指導として最悪なのは指導者側が音を聴いていないケースだ(紋切り型の指導は案外多いもの)。
トルテやペカットなら万能でどんな表現でもできるわけでもない。銘柄とは関係なくその曲にあった役割を演じてくれる弓がその曲にとって音楽的に適していると言える。
昔の演奏家が多くの弓を所有していたことは理解できる(もちろん税金対策や資産運用目的や贈答品も多いだろう)。ある意味ヴァイオリン本体よりも音楽を変えるのが弓なのだから。
昔の作家が言う「万年筆から勝手に文章が湧き出てくる」と言う話、私には共感できる。上質な道具が作り出す表現というものも確かにあると信じる。