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レッスンにて。近代フランスの曲をなさっている方への音色の説明が難しいなと思いました。フレンチヴァイオリンの音のイメージなのですが、ヤワい音ではなく固さはありつつ、ブライトなイタリアンな原色ではなくやや白みがかったパステルカラーの音。弓の圧力や寝かせ具合で説明して一応その音は出たが、イメージをきちんと伝えないと定着はしない。どう言葉で表現したらいいのか…。拙い説明になって申し訳ありません。
火曜〜木曜は東京にてレッスン。水木は7コマ+7コマと多くの方にお越し頂きました。お越し頂いた皆様有難うございました。
水曜日は皆様あまり音が良くなく調子が今ひとつで、私自身もひどくだるく言葉もうまく出ませんでした。東日本大震災の前日がこの感触だったので「大地震が来るのか?」と不安に思いました(東日本大震災の2日前にM7.3の東京でも大きめの揺れを感じた地震がありました。新潟・山形の地震があったし前震かと思いました)。
Facebookにも書いたがサイト更新をした。「自分を適切に評価する」シリーズの2回目で「ヴァイオリンはまずは努力」の題名で書かせて頂いた。よろしければどうぞご覧ください。
→https://www.violinwakaru.com/artcl/10/12_00702.html
無慈悲な突き放したような書き方と自分でも思う。こういう文章は嫌われるだろうなとも思う。
上達感を得るためには、あるいは適切な自己評価をするためには変化が必要だろう。自分の手を動かさないと何も変わらず、変化がなければ評価のしようが無い。当たり前のようなことだが大前提は書いておかなければいけないだろうと思った。
レッスンに長くお越しの方を含め、多くの方が無い時間と厳しい事情の中、大変な努力をなさっていることはよく分かる。特にうちは「楽しくスマートに上手くなる」というスタイルのレッスンではないので、泥臭い地味な練習をよくなさって頂けていると思う(「楽しくスマートに」なんてあるわけねえだろ、と私は思う)。
指導側・権力側の不当な強要にはわたしは批判的だ。だが、その反面、権利意識の行き過ぎ・拡大解釈で「できない事をやらせられたらパワハラだ」と言われかねない時代になりつつあるし、そのうち「指導者が生徒を坂道をおぶっていかなければ虐待だ」と言われる時代になるかもしれない。
近道は無いけれども、無為な遠回りをさせないのは指導者の腕前だろうかなと思う。けれども、指導者が代わりに歩いてくれるわけでは無く、自分の足で歩かなければ上達も発見も無いし、自己評価すらできないと、今の時代だからこそ記しておきたい。