有楽町で逢いましょう

今のマイブーム「有楽町で逢いましょう」。クラシック音楽は仕事として多く聴きますが、別ジャンルの音楽が時々マイブームに。最近こればかり聴いていて。

自分は懐メロには割と詳しい方と思うが、さすがに1950年代の歌は世代ではなく名前しか知らず。体育館でのランニング時にAdoの歌をよく聴いていて、Adoの「オールナイトレディオ」の歌詞に「有楽町で逢いましょう」の一節があり。

聴いてみたらレトロな物悲しいメロディ。味わい深い歌詞。ハマった。調べると「有楽町で逢いましょう」は1957年開店の「有楽町そごう」のキャンペーンソングだったのだそうだ。こんな物悲しい曲が?と思ったが、色々読むにつれ戦後の闇市が立ち並ぶ有楽町で、オシャレな都会的なムードを持った斬新な曲だったと理解した。

月曜日。千葉市と幕張、それから船橋のリサイクルショップにスポーツ用品と楽器の中古を見に出かけた。酷暑の中、徒歩と電車で^^;←自分の車は暑いと夏バテして調子が悪くなるので、夏の移動は基本的に徒歩と電車(必要があればレンタカー)。特に幕張は広く徒歩では不可能と思ったものの、地図上では意外と可能と判断し。

千葉駅前のフクロウ交番お久しぶりです

で、「有楽町で逢いましょう」を聴きながら歩いては電車に乗って歩いてを繰り返し15キロほど歩き回り、リサイクルショップを一巡して、熱中症気味でぼんやりしてきた頭で、地下鉄のルートを間違えつつ有楽町へ。

有楽町マリオン前の「有楽町で逢いましょう」の碑
こんな碑があることは知らなかった

今のビックカメラがかつて有楽町そごうだったのだそうです
この建物が1950年代の歴史的建造物とは知らなかった

そごうは経営破綻し、フランク永井氏は幸せとは言えない亡くなり方をし、遠くない将来この建物も再開発で無くなるとされる。有楽町ビックカメラにはしばしば訪れるが、歴史的建造物の観点で改めて見てみたい。そして1950年代と言えばハイフェッツやメニューインが活躍していた時代。その空気を少しでも感じ取れれば何か分かるかも。


石田 朋也

1974年愛知県生。2000年名古屋大院修了。ヴァイオリンは5歳から始め、1993年よりヴァイオリンの指導を行う。大学院修了後、IT企業のSEとしてNTTドコモのシステム開発などに携わる。退職後の2005年より「ヴァイオリンがわかる!」サイトを開設し情報発信を行う。これまで内外の1000人程にヴァイオリン指導を行い音大進学を含め成果を上げている。また写真家としてストラディヴァリはじめ貴重な楽器を400本以上撮影。著書「まるごとヴァイオリンの本」青弓社

美しい音が好物。バッハ無伴奏がヴァイオリン音楽の最高峰と思う。オールドヴァイオリン・オールド弓愛好家。ヴィンテージギターも好み。さだまさしとTHE ALFEE、聖飢魔IIは子供の頃から。コンピュータは30年程のMac Fan。ゴッドファーザーは映画の交響曲。フェルメールは絵画の頂点。アルファロメオは表情ある車。ネコ好き。

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