ベートーヴェンのdolceやcantabileはイタリアとは異なる

土曜は東京にて、日曜は愛知にてレッスン。東京は盛況でした^^。とても寒い中お越し頂いた皆様有難うございました。

ちょっと前のレッスンでベートーヴェンのコンチェルトにてさせて頂いたお話。dolceやcantabileについて。

無料楽譜サイトのIMSLPよりベートーヴェンのヴァイオリンコンチェルト2楽章の自筆譜
dolce、cantabileの指示が見えます
ベートーヴェンの自筆譜、グチャグチャと消してあったり、殴り書きだったりときれいでないことで有名です
こうやって簡単に自筆譜が見られ良い時代になりました^^

dolceもcantabileもイタリア語だ。これを「柔和に、柔らかく」「歌うように」と単純思考で捉えて弾いてはいけないと考えている。

ドイツの感覚とイタリアの感覚はだいぶ異なるのではないかと長い間考え続けていることだ。そんなの「健全でためになるクラッシック音楽」の認識の前では考える必要のないことかもしれない。だが自分は引っ掛かってしまった。

ドイツの食事とイタリアの食事。全く異文化の日本人の自分にとっても少なからず差異がある気がする。現地の人にとってはまして大きな差異だろう。大学生の頃に演奏のアルバイト(ワインセミナーのBGMとしてカルテットで演奏)で試飲した高級ドイツワイン。これがドイツなのだと感動した。ドイツの自動車とイタリアの自動車。4年前に買ったアルファロメオ。これがイタリアなのだと感動した。

同じ言葉もバックグラウンドによって意味合いが変わる。この当然なことが、かつての音楽教育では一義に捉えられていた。

最もノイズなく音量の出る極めて力を抜いた弾き方で、余計な表情づけをしないで、楽譜のままでといったことを徹底したらベートーヴェンのコンチェルト2楽章が神の音楽になった。ベートーヴェンのdolceやcantabileってこういうことなんだ。

「感動する〜」「きれ〜」という人間の言葉ではない音楽が浮かび上がる。そして自分自身が故玉置先生にご指導いただき続けた音楽はこういう音楽なのだ。そして先日ライブで聴いたイザベル・ファウストのモーツァルトも同じ印象を得た。

たかが音楽用語に引っかかり続けた自分の意識は大きく間違ってはいなさそうだ。安心した。