土日は東京にてレッスン。お越し頂いた皆様有難うございました。寒くなったと思ったら逆に少し暑くなったり。晴れたり雨が降ったり。
自分としての大発見。ヴァイオリンの持ち方が弦の性質に依存すること。

顎当てなしで弾くことをかなり前に試したことがあった。さまざまな資料に基づいてテールピースの左/右いずれにも顎を当てたりもして時間もかけてかなり頑張ったが、当時の結論は「とても弾けたものではない」「楽器も傷む」だった。
現在、オールド楽器のひとつをイタリアToro社のプレーンガット弦にしている(Eはゴールドブラカット0.26。ADはニス塗り弦、Gは巻線)。プレーンガットは左指が滑りにくい。
思いついてこの楽器の顎当てを外して弾いてみたら、弾ける!ヴィブラートも普通にかけられるし、ポジション移動の多いパガニーニのカプリースだって問題なく弾ける。音色も顎当てを外した方が美しい。ただ、曲によって合う合わないが極端に出る(ヴァイオリンの特性をよく理解して書かれた曲以外は受け付けない。ベートーヴェンなんかは全く弾けない)。
一方、オイドクサを張っているもう一方のオールドを顎当てを外したら、こちらはコントロールが効かず以前の結論と同じでとても弾けたものではない。顎当ての必然性が弦の性質に依存する。これには気づかなかった。
もちろん顎当てだけでなく肩当ての必然性も弦に依存するのだろう。ナイロン弦より指が滑りにくいガット弦では肩当てを必要としないが、ナイロン弦では肩当てが必須かもしれない。単純に肩当てを外す事を推奨しては、不可能な事を要求してしまう事になってしまう。
「古楽演奏が正しい」「昔の名演奏家が正しい」といった単純思考では成り立たない。正しさはひとつではなく、弦の滑り具合を含めた全てのバランスで演奏技術が成り立っていること、驚かされました。