土曜は東京にて、日曜は愛知にてレッスン。9コマ+8コマの大入り大御礼になりました。ご利用&お越し頂いた皆様有難うございました。今回レッスンをしつつメンデルスゾーンのコンチェルト3楽章のスタッカートについて長年(中学生からなので30年来)疑問に思っていたことの解決になりうる発見があり、私としては嬉しく思いました。長い間の疑問が少しずつ解決するのは嬉しいことです^^。

今回も閑散とした新幹線(東京駅出発直後)
Go Toキャンペーンで今回どうなるかとも思いました
車内販売の方が3往復くらいしていたのが印象的(買う人いないのね)
音楽や楽器の歴史と、その当時のヨーロッパ情勢について調べ考えている。まだ拾い読みだが、それでもストラディヴァリのゴールデンピリオドと1715年あたりのヨーロッパの経済事情との接点で気付くことがあったし(ミシシッピ計画、南海泡沫事件といったキーワード:世界史で習った気がするが年代を覚えていなかった)、1700年頃からそれまでと異なった音のヴァイオリンが出現する理由も経済事情から推し量ることができそうだ。
エビデンスとしては全く不足しているし、その研究をしたいわけではない。けれども「ヴァイオリンの音とは」「ヴァイオリンの演奏技術とは」といった根源的なことを考える材料にはなりうる。現代の製品と同じく、ヴァイオリンもその当時の人にとって売れるものを作る。300年後の未来のことを考えて作っていたわけでは無い。音の変化には何か現実的な理由があったはず。
ツイッターにも書いたが、1600年代までの良い楽器にみられる丸く厚みがあって響きの多い音が「ヴァイオリンの音」だろうかなと思っている。その究極はスタイナーなのだろう。
聴き手が大衆化するにつれて、品の悪い音楽を演奏するようになり、だんだん音も品が悪くなっていき、現代に到るのだろう。エレキギターが最初は胴体の鳴りが豊かでアコースティックギターの代わりになる音だったのが、品の悪い人が音を歪ませて使うようになっていった歴史に似ている(それが悪いわけでは無い。品の悪さの魅力もある)。
最初からディストーションをかける事を基礎と考えるべきではないだろう。エレキギターでも何も加工していない素の音から順を追って音を教えるのが良心的な教育のはずだ。
ヴァイオリンでも基準となる音に立ち返る必然性をここのところ考えています。