身体に良い/悪い音楽

木曜・土曜は東京にてレッスン。お越し頂いた皆さま有難うございました。少々久しぶりにお越しの方もおられました。思ったよりテクニックの退化・劣化は生じておらず自分としては胸をなでおろしました。少しずつでも弾かれていたのだろうと思います。お忙しいところ恐縮です。

ちょっと前だがレッスンにお越しの方と「身体に悪い音楽」が話題になった。食品と同じように音楽を「身体に良い/悪い」とカテゴライズすることも音楽の意味を考えるひとつのあり方と思う。

モソロフ「鉄工場」が身体に良いと思う人は稀でしょう
ただ単純な否定はヒトラーの思想弾圧のひとつ「退廃芸術」につながることでもあります
象徴的な芸術作品と自分は思います

「クラシック音楽=健全で美しい」と思われがちだが「不健全・汚い」曲もあるし、ショスタコーヴィッチのように旧ソビエトの政治的事情により見る角度によって見え方が一変する曲もある。

絵画など他の芸術作品と同じように、20世紀音楽を健全で身体に良い音楽と思ってしまうのは解釈を誤っているかもしれない。自分自身はクライスラー「愛の喜び/悲しみ」は20世紀音楽として素直ではなく捉えるようにしているし、シベリウス「ヴァイオリン協奏曲」は単に綺麗な曲とは思わないようにしている。いずれも決して健全とは思わない。

「身体に良い」音楽の代表格はイタリアの音楽だろうか。全然知られていない曲だがロッシーニの弦楽曲なんか気持ちよく美しく心身の健康に良いのではないだろうか。

ロッシーニ弦楽のためのソナタ5番
コロナの無観客でこの曲が選ばれることは意義深いと思います

イタリアというと「深みが無い」「軽薄」「感覚的」と言われがちなものだが、自分自身はさまざまな事がきちんとできて初めて「身体に良い」音楽になるのではないかと思うようになった。

イタリアのヴァイオリン。感性でできているわけではなく、冷徹な設計と振動を活かすノウハウの上にできている。イタリアの楽器は左右非対称なことも多いが、ドイツのクロッツなんかより横板の高さやストップ長などの寸法がきちんとできている楽器が多い。決して感覚的でもテキトーではない。

物事の良し悪しを判断できる知識が欲しいし、今も求めている最中。そして肌感覚として素直に身体に良く感じる事は思った以上に重要かもしれない。

例えば綺麗だと思っている音楽の風景は、こんな風景かもしれません
身体に良い/悪いは主観に左右されることではあります
音楽は基本的に毒物だと自分は思っていますが、毒も薬になりえます
なおこの写真は秋田の玉川温泉です