火曜・木曜は東京にてレッスン。お越し頂いた皆様有難うございました。自分の側が体調は悪く、ひどい声になっていて失礼致しました。熱は出ていないので大丈夫だとは思いますが、指の怪我も治り、髪も染め直して、11月から頑張ってやるぞと運動の強度も上げた矢先の身体側からの訴え自分としても不本意に思っています。自分は何にしてもいつもそう・・・。
でも見るからに具合が悪そうな時でもレッスンをして下さった故玉置先生や佐々木先生を見習って実践したいと思うのです。実に休まない先生だったな・・・。肝の座ったプロだったんだな・・・。こう言うことは先生の背中を見て育つものです。
「ヴァイオリンがわかる!」サイトの更新を3ヶ月ぶりに。忘れていたわけでも諦めていたわけでもなく、2つ記事を書いたもののボツにしたためです。3つ目の記事で、「弓をまっすぐに動かすヒント」のタイトルで書かせて頂きました。難題ですが極力シンプルに書き直しました。よろしければどうぞご覧下さい。
https://www.violinwakaru.com/wdprs_ex/20/弓をまっすぐに動かすヒント
Facebookにも「弓をまっすぐに動かす」ことについて記したが、別の観点から。
レッスンにて多くの方に長くやって頂いている、「弓をまっすぐ動かす」シンプルなボウイング練習。それからシンプルなヴィブラート練習。大半の方はご自宅での練習ではなさっていないだろう、と教える側として思っている(きちんとなさる方は明確に効果が出るのですぐ分かる)。教える仕事は教わる側を信じ切った脳内お花畑的思考ではできないのだ。
ご自分でできないことをやって頂く事がレッスンの重要な要素と考えている。自分でできないのはご自身がメリットを感じていないため。面白くない。前進している感じもしない。練習の意味が分からない。こう言う苦い薬を飲んで頂くのが教える側の役割なので、数回もすれば嫌がられ批判され、いずれ離れていくものだろう。
「弓をまっすぐ動かす」だけの事がどれほど重要なことか。自分自身中学生の頃、録音をしてはモーツァルトのコンチェルトがそれらしくならないので表情・表現不足と勘違いしてあれこれ工夫をして操作を加えていた。操作すればするほどおかしくなった。何もしない方がそれらしい。モーツァルトに「お前の解釈や工夫なんて音楽を破壊するだけのものだ」と指摘され笑われた瞬間だ。
「音はまっすぐに出すだけで何もしなくていいから」「楽譜通り弾けばいいから」「余計なことをしなくていいから」。レッスンでもしばしば言うが、こんな事を言うから嫌われ離れるのだろうなあ。でもそれがご自分で最も気づきにくい、うまく弾く秘訣なんだけどな。
そりゃ「あれもこれもやりなさい」→厚化粧な音楽に仕立て上げた方が上手くなった気分になれるので喜ばれるレッスンになるに決まっている。その方が上手な商売。けれども「弓をまっすぐ動かす」「音をまっすぐに出す」だけのことの重要性を、音程も表現もその上にあることを10年後に分かってもらえればと思って、面白く思われていないだろうなと思いつつ日々レッスンでやって頂いているのでした。
シンプルに書き直した今回の記事もお役立て頂ければ。

