火曜はレッスン。お越し頂いた皆様有難うございました。
ある程度弾けるようになってくると新しいバイオリン教本6巻を進めるケースが多い。ヴィエニアフスキー「伝説曲」なんかは初めてのコッテリとした曲で楽しく弾けるかとも思う。その後、他の曲を挟みモーツァルトのヴァイオリンソナタK.304に至る。またモーツァルトのコンチェルトの3番や5番もヴァイオリンを学ぶ上で必須だ。
ところがモーツァルトの曲を学ぶと憂鬱になってくるだろう。ああでもないこうでもないと言われて何をやったらいいか分からない憂鬱さだ。実際、モーツァルトを境にお越しにならなくなる方も何名かいらっしゃった。
子供の頃からヴァイオリンをなさってきた方とちょっと前に話題になった。モーツァルトのコンチェルトのレッスンを受けると、「それはちょっと違うんだよなあ」「いやそうじゃなくて」と永遠とやられ、何をやったらいいのか分からなく数ヶ月続く。きちんとした教室ならみんなそんなレッスンを受けるんですよねえ、という話題。自分自身も子供の頃モーツァルトはそういうレッスンだったし、多くの上手な方から同様の話も聞く。
多くのきちんとした先生はモーツァルトを恐れつつ最大の敬意を抱いて誠実にレッスンをしているんだなあと思わされる話。自分自身もそうあろうとしている。
モーツァルトは一見明るく楽しそうで音符も単純に見えるが魔物だ。向こうから近づいてくることは決してない。追えば逃げる。追ったところで相手にもされない。追わないで接すること。距離を置きつつ何もしないで示された音符を弾くこと。それが魔物との付き合い方だ。「白痴美」などとも評されたグリュミオーの演奏がモーツァルトの名演を遺したのは偶然ではないだろう。
モーツァルトは究極の難しさだ。何もしていないように弾かなければいけない。弾き手にとってこれほど憂鬱になる曲もない。モーツァルトのコンチェルトの本編とヨアヒムあたりのカデンツァと比べると、あまりの才能の違いに笑えるくらいだ。モーツァルトによる本編は何もしないことで極上の音楽が浮かび上がるが、カデンツァを同じように弾くとスカスカの音楽になってしまう。
「天使の音楽」ヴァイオリンをなさっているのなら接してほしいな。天使にあまりに相手にされず絶望するかもしれないが・・・。自分自身も相手にされた経験もないが、30数年も弾いて天使の遠さが少しは分かるようになった。
