管楽器の歴史的名器を聴いてきた:ヴァイオリンと同じなのね

水曜・木曜は東京にてレッスン。ご利用・お越し頂いた皆様有難うございました。皆様に「良いお年を」とお見送りを致しました。私自身も来年が良い年になるよう既に準備中。

水曜の夜間帯はレッスンのお休みを頂いてコンサートを聴きに行った。高校生の頃の同級生がプロのファゴット奏者で彼のリサイタル。ファゴットの歴史的名器を2本使ったコンサートで、そのうち一方はファゴットのストラディヴァリと言われるもの。

完売と言えどお義理で買って当日は来ないケースも多いものだが
本当に満席だった。すごい!売れっ子になっていたんですね!
開演前や休憩時間には管楽器の熱い語らいがあちこちで聞こえた
多少場違い感^^;

楽器ってこんなに音楽を変えるものなんですね!音に伸びと広がりが出て演奏者から離れたところから聴こえる、各々の音が繋がりを持って当たり前の音の並びが音楽に変わる。そして独立した生き物のような音楽が現れる。ヴァイオリンの名器と同じだ。音楽が演奏者の力なのか楽器の力なのか分からなくなる一瞬だ。

ヴァイオリンの経験上、楽器や弓で音楽が生きも死にもすることは重々わかっているつもりだが、別の楽器で経験するとこれほどまでに違うものかと驚かされる。

良いヴァイオリンって?情報を集めるほどわからなくなるが、シンプルに「音楽になるヴァイオリン」と思う。逆に「音楽にならないヴァイオリン」はどんなに高価なものでも良いヴァイオリンではない(調整や修理の悪いストラディヴァリでこういうのを弾いたことがある)。

「演奏者の音楽性なんて大したものでは無い」「名曲や名器に余計なことをして邪魔しないように」と心がけている。そりゃ昔は「自分こそが音楽を作り出しているんだ」なんて勘違いしていたよ。全然わかっていなかった。名品を使うようになって分かるようになったことです。

きっと彼も同じ道を辿っていたのだな。

会ったのは30年ぶりだ(コンサートの出演者は当日は忙しいので一言二言の会話だけだが)。何も変わっていないないように感じた。そして高校卒業してから別の道を進みつつ、30年も経って同じ方向に進んでいたんだなと気づき、感慨深く少し嬉しく思いました^^。