土曜は東京にて、日曜・月曜は愛知にてレッスン。お越し頂いた皆様有難うございました。お越しの方に松脂についてリクエスト頂き、私の側が勉強になりました。その時代ごとのニーズに沿って、どの時代も様々な制限の中、理想を追求して物作りをされていたのだと。

日曜日の新幹線から豊橋付近でマグリットの絵のような雲が出ていました
サイト更新!今回は2週間で更新できた!←威張ることでない。Youtuberの方は毎日更新なさっていてすごい努力だなあと思います。今回の記事はすっと書けて、手直しすることなく公開できるものになった割と珍しいケース。「人前で弾く曲の選び方」の3回目で最終回です。よろしければご覧ください。
主催者が評価されるように配慮が必要なシーン:人前で弾く曲の選び方3 ヴァイオリン教室「ヴァイオリンがわかる!」
ヴァイオリンを教える側としてお伝えしたいこと。独学についてや、生徒さんにお願いしたいこと、ヴァイオリン教師として気持ちなどを記しています。
強い表現ですが「誰もお前なんかの演奏なんて聴きたくない」「誰もお前なんかの話なんて聞きたくない」そういうものと思って、演奏したり文章を書いていたりする。メリットを享受するのは誰なのか、自分は誰のために仕事をしているのかと考えるようにしている。決して自分のためではない。
昔は私自身も演奏の主体は自分と思っていた。自分がスターになることが努力なのだと。でもそれは違う。対価を払って頂ける方が主体なのだと。誰かに喜んでもらえることが自分の仕事の価値で、その誰かを見誤ってはいけない。
「演奏者側が楽しまなくちゃお客さんも楽しくない」なんて最近は言われるが違和感がある。演奏者というのは、古代ローマの見せ物の剣闘士であり音楽の奴隷なのだ。
仕事なんだから当然かもしれない。でも演奏する側として自分は長い間受け入れられなかった。ちょっと寂しくもなるが、こんなことがすっと書けた。少しは成長したのかもしれない。