政治的な発言は避けるようにしているのですが、例年通り8月6日と15日とはご容赦下さい。
明日終わるかも、と思って日々過ごしている。今に始まったことではなく、かなり昔からだ。
子供の頃、人工衛星が落ちてくると聞き強く不安を感じたし、核戦争の映画を観て恐怖に慄いた。飛行機は墜落するもの、ホテルは火事になるもの、天皇も死ぬもの。
文字通り杞憂かもしれない。でも、これが自分の発想の原点に思える。従兄弟が乳幼児にして亡くなったからかもしれない。思わぬ短命で世を去った知人もいくらかいる。
話はかわる
原爆ドームの裏に住んでいた方の本を読んだ。著者は当時の広島の街並みを映像上で再現する活動をなさっている方だ。
原爆ドーム=産業奨励館にはパイプオルガンが備え付けられていたそうだ。その事実を私は全く知らなかった。それだけでリアリティを感じた。現代と変わらない日々当たり前の生活があったのだ。
まさに今現在、一部の国の指導者が立場が悪くなりボタンを押せば簡単に人類は滅亡する。バービー映画のパロディ画像は現実であって杞憂ではないのだ(バービーはアメリカの象徴とも言えますし)。
当たり前の日常がいつでも無くなりうる。明日死んでも後悔しないように過ごしたい。
他人にとっては下らないことでいい。楽器を弾く、本を読む、音楽を聴く、自動車を運転する、等々、自分の好きなことも明日にはもうできないかもしれない・・・。

産業奨励館の裏にお屋敷があって、そこに住んでいた人がいた。
自分はそんな想像力すら持つことができなかった。