私のヴァイオリン・弓を弾いて頂く:私にはリスクだが

水曜・木曜は東京にてレッスン。ご利用&お越し頂いた皆様有難うございました。今回もとても遠くからの方がお越しになり嬉しく思いました^^。

木曜日のレッスンの後にはとても久しぶりに駒込の百塔珈琲さんに行く事ができました^^。

変わらぬ美味しさのコーヒー。
どうしてこんな味に淹れる事ができるのだろう。

自分には居心地の良い静かな空間。
グレン・グールドの弾くブラームスのピアノ曲が素敵でした。

今回レッスンで私のヴァイオリン・弓を弾いて頂いた方がおられた。しばしばやっていることで「試して頂くことで楽器から学んでもらえるだろう」と期待できる時に弾いて頂く。通常、製作者名は伝えず、何かを感じ取って興味を持ってもらえれば良し、何も感じず興味も生まれなければまあそれはそれで。「猫に小判」も価値観の違いなのでそれ以上は求めない。私側にリスクある事なのでお試し頂くのは私のきまぐれ(骨董なのでお金があっても代わりは入手できないから。従って「上質弓の貸出サービス」も止めた)。

昔ながらの指導者は自分のヴァイオリンや弓を弾いてもらって学んでもらう経験を生徒に与えていたとされる。今よりずっとイタリア製ヴァイオリン、フランス製弓が貴重だった時代、先生側も生徒側双方に熱意と気概がなければできないこと。自分自身も師事していた先生のヴァイオリンや弓を弾く経験を頂いた。グァルネリとおっしゃっていたが、その時たまたま先生に電話が入り比較的長い時間弾けた。一度だけの経験だが自分の以後を作った感動の経験だった。

それからは楽器店や展示会を巡り、時には一度は断られ何回かお願いした結果弾けたり、時には嫌味を言われ、時には遠回しに断られ、長い間かけて経験を自分で培ってきた。図鑑に載っているストラディヴァリもグァルネリも、トルテもペカットもそうやって自分の手で覚えた。

私の個人的思い入れだけでなく実際の教育効果も見込めるが、粗末に扱われたり、当たり前のような顔をされたり、ともすれば迷惑そうにされたりすると馬鹿馬鹿しくなる事がある。もちろん「あなたは音すら出せていないし、何も分かっていない」なんて伝える親切心も起こらない。

例えば、フェラーリを運転できる機会をオーナーから得られても、興味がない人にとってはただ狭くてうるさくて乗り心地の悪い車だ。無神経な人なら雑に扱った上に「アルファードの方がいい車ですね」なんて言うかもしれない。「転がしてみる?」と提案する側にはリスクしかないが、喜ぶ顔が見たくて誘うわけで必然性は何もない。受け手次第だ。

今回私のヴァイオリンと弓を弾いて頂いて、多分一生ものになる経験ができた方がおられた(こういうのは表情で分かる)。もう一生楽器から生み出される音に迷うことはない(音を知ると楽器探しには苦労するかもしれないが)。こう言う時は私も嬉しい。リスクはあれど試してもらってよかった^^。