惑わず天命を知る事ができるだろうか

土曜は東京にて、日曜は愛知にてレッスン。お越し頂いた皆様有難うございました。

愛知への移動途中のほぼ完璧な富士山。いつ見ても何度見ても素敵です。

私事ですが、4月8日は自分の49歳の誕生日でした。ゴホゴホと咳をしつつのトホホな誕生日でありました。メッセージを頂いた方々お気遣い頂き有難うございました。

「四十にして惑わず」の最後の歳。「五十にして天命を知る」まであと1年。

いつも惑いっぱなしで「自信を持って」とはとても言えないけれど、演奏を仕事にできたり、客観的評価で高評価を得たり、大役を務める事になったり、全く初めてからで他人に聴かせうる演奏になったり、レッスンにお越しの方のご本人の努力の結果ではあるが、一定の結果はご提供できた40歳代だったと思う。

自分の天命・・・。ヴァイオリンの整備、演奏技術、プレゼン能力それぞれをきちんとやる事で結果はきちんとついてくる、と毎日いつも同じようにお伝えし続ける事だろうか。演奏技術が優れていても楽器に不備があれば結果は得られない。上手く弾けても独り言では音楽ではない。

当たり前のことをお伝えしているに過ぎないが、その当たり前のことをきちんとお伝えして実践して頂くのはとても難しいことだ。

自分自身は・・・、自分がもがいているのは「音楽とはどういうものか」だ。

先生に習って明確な答えを得られる命題ではないし、まして書籍に答えはない。だからこの十年ほど多くの楽器や弓を試し一部は購入し、ギターも多く購入し、イタリア車も買った。孫引きではなく自分の手で掴んだ直接の体験として多くの経験は得られた。

少なくとも、音楽が生き物であることには確信が持てるようになった。生き物とは・・・、自分の意思を持って独自に動き出すもの。ケージの中で悲壮な顔をしてうずくまっている動物が音楽ではない。動体展示のように生きた表情があって魅力になる。

クラシック音楽も、檻に閉じ込められた「音楽」を退屈げに鑑賞をする時代から、生きた音楽へと変わりつつある。クルレンツィスやアントニーニに代表される解釈だ。自分の意識も時代から外れてはいないと思う。

もう一年頑張って、もう一歩踏み込んだ天命を知る50歳になりたい。

石田 朋也

1974年愛知県生。2000年名古屋大院修了。ヴァイオリンは5歳から始め、1993年よりヴァイオリンの指導を行う。大学院修了後、IT企業のSEとしてNTTドコモのシステム開発などに携わる。退職後の2005年より「ヴァイオリンがわかる!」サイトを開設し情報発信を行う。これまで内外の1000人程にヴァイオリン指導を行い音大進学を含め成果を上げている。また写真家としてストラディヴァリはじめ貴重な楽器を400本以上撮影。著書「まるごとヴァイオリンの本」青弓社

美しい音が好物。バッハ無伴奏がヴァイオリン音楽の最高峰と思う。オールドヴァイオリン・オールド弓愛好家。ヴィンテージギターも好み。さだまさしとTHE ALFEE、聖飢魔IIは子供の頃から。コンピュータは30年程のMac Fan。ゴッドファーザーは映画の交響曲。フェルメールは絵画の頂点。アルファロメオは表情ある車。ネコ好き。

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