引き続きレッスンはお休みを頂いております。ご不便・ご迷惑をおかけ致しておりますがご容赦ください。
先日ポルシェを運転してドイツの主要なメーカーは全て体験した。フォルクスワーゲン・アウディ・BMW・ベンツ・ポルシェ。メーカーの差はあれど、シッカリ・カッチリとしたフィーリング、シートの感触、メーターの造形、車内の空気、いずれも質実剛健、低音が強く雑味の多い印象のエンジン音・排気音が共通点に思えた。カーオーディオで流す音楽もブラームスやベートーヴェンは似合い、パヴァロッティの歌は似合わなかった。華麗なイメージだったBMWやポルシェも案外色気はなく実利的な感触だった。
この休みでいくつか曲に取り組んだ。20年前に取り組んで放置していたクライスラー「レチタティーヴォとスケルツォ」、全く初めて取り組むベートーヴェン ヴァイオリンソナタ10番、かつて玉置先生に習ったけれど消化できていないバッハ無伴奏ソナタ3番のフーガ。いずれもドイツ系の音楽だ。
ベートーヴェンのソナタ10番は「スプリング」や「クロイツェル」ほど有名ではないが、多くのヴァイオリニストが「最期に弾きたい曲」として挙げる曲だ。他の9曲と違って10番だけはベートーヴェン後期の作(作品番号も96)で、天国的とも言えるし何か達観した感じも受ける。バッハのソナタ3番のフーガは無伴奏ソナタのフーガの中で最も長大であるし、決してポピュラーとは言い難い曲だ。習っていた先生も「よく分からない」とおっしゃっていた曲だ。
ドイツの音楽はクラシック音楽の中で重要な位置を占めるが、その理由に得心していなかった。だがドイツ車から学んだ淡々と今の仕事をこなす→「色気を出さず、過度な歌心も持たず、厚みのある音できちんと弾く」ことに徹して弾くと何か分かるところがあった。ヴァイオリンの教育では「もっと歌いなさい」と言われるものだが、ドイツの音楽はイタリア的な歌とは違い流麗さや外連味を出さない歌。そう言う美意識が長い間疑問に思いつつ感覚として分からなかった。
ドイツの車とクロッツなどドイツのヴァイオリンやニュルンベルガーなどドイツ弓との共通点も感じた。クラシックギターも似た印象だ。料理も似ている。それに沿った音楽であり、だからシンフォニーやアンサンブルが発達したのだと有機的に結びついた。
長い長い間かかって、ようやく感覚として分かったこと。あれこれやってみて、もがいてみて良かった。

日曜日は一度行ってみたかった城南島海浜公園へ。
羽田空港から発着する飛行機を見てきました。
平日は道が混むし、目的意識を持たずに眺めるのはなかなか普段得難いこと。