ポルシェに乗って下田港へ

引き続きレッスンはお休みを頂いています。ご不便・ご迷惑をおかけ致しておりますがご容赦ください。

お休みの間遊び歩いています^^;。多くの男の子と同じようにポルシェを運転することは子供の頃からの夢だった。その夢を叶えに。それからそのポルシェに乗って伊豆半島の下田港へ。

ポルシェでどこに行こうかと考え、ある程度距離を走れて、ある程度高速道路や峠道を走れて、道路が凍結していなさそうな場所として伊豆半島が候補に上がった。

ペリーが2度目に来日したのが1854年の2月13日だそう(この時には江戸湾だそうですが)。その話を読んで俄然下田港に行ってその空気を感じ取ってみたくなった。

川崎市のタステックレンタリースさんでポルシェ718ケイマンをお借りした。12時間で22,000円程なのでそこそこ高いが、でも夢の成就としてはお手頃な価格。911カレラが希望だったがこれはもっとポイントをためないと借りられないらしく。

昔のフォルクスワーゲンビートルの空冷エンジンを思わせるバサバサした音を轟かせて、ポルシェの名に恥じない俊足さで走る。

東名や小田原厚木道路、東側の海沿いの道(主に国道135号線)を走り、思ったより遠かった下田に到着。

下田市の了仙寺。ここでペリーと日本側の交渉が行われたと言う
歴史が立体的になって動き出すようで楽しい。

了仙寺の裏には横穴式古墳も。
この土地にはペリー来日よりもっともっと昔の人の営みもあったのですね。
全く知りませんでした。

この川に沿った道を黒船から交渉の場までペリーは通ったとされます。
異人さん達が歩くのを驚嘆の目で見る日本の人の姿、目に浮かぶよう。
この建物はその様子を見ていたのかもしれません。
なおこの写真は違いますが下田にはナマコ壁の建物が多く残っていること。
全く知りませんでした。

ペリーの銅像と下田港。ここにサスケハナ号など黒船が停泊していたのだ。
サスケハナ号は78mと当時最大級の巨艦だったそうだ。
黒煙を上げて停泊する巨艦を見て人々は何を思ったか想像すると楽しい

ペリーの銅像を後ろから見ると下田富士が見える。
年月による侵食に耐えた冷えたマグマなんだそう。
これが今回最大の驚きだったかもしれない。
あまりにも長い年月が作り上げた造形

352kmと結構な距離を走りました。

夢のポルシェ。確かに良い走りのきちんと作られた精巧な車だった。凄いレスポンスのエンジンも宇宙一と言われるブレーキもさすがに素晴らしいものだった。思い通りに走るし、これまでに乗ったドイツ車の中では最も好印象だった。ただ、自分には合わなかったかな。素直な感情として欲しいとは思わなかったな・・・。

道を譲られるシーンはあって「確かにポルシェに乗っているのだ」と感じはした。けれどもブランドによるそういう社会的な扱いを自分は必要としていないし、他人へのアピールよりも自分自身が楽しい道具が欲しいかな。自分には無表情な高性能よりも問題はあってもイタリア車のような表情豊かな道具が好きなんだな。

石田 朋也

1974年愛知県生。2000年名古屋大院修了。ヴァイオリンは5歳から始め、1993年よりヴァイオリンの指導を行う。大学院修了後、IT企業のSEとしてNTTドコモのシステム開発などに携わる。退職後の2005年より「ヴァイオリンがわかる!」サイトを開設し情報発信を行う。これまで内外の1000人程にヴァイオリン指導を行い音大進学を含め成果を上げている。また写真家としてストラディヴァリはじめ貴重な楽器を400本以上撮影。著書「まるごとヴァイオリンの本」青弓社

美しい音が好物。バッハ無伴奏がヴァイオリン音楽の最高峰と思う。オールドヴァイオリン・オールド弓愛好家。ヴィンテージギターも好み。さだまさしとTHE ALFEE、聖飢魔IIは子供の頃から。コンピュータは30年程のMac Fan。ゴッドファーザーは映画の交響曲。フェルメールは絵画の頂点。アルファロメオは表情ある車。ネコ好き。

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