土曜は東京にて、日曜月曜は愛知にてレッスン。土曜は9コマの満員大御礼!日曜月曜は6コマ+5コマと比較的余裕の日程でした(空き時間は実家の屋根に巻き付いた藤の枝切りをしていました^^;)。ご利用&お越しの皆様有難うございました。お越しの方の研究に少し参加もさせて頂き大変興味深く思いました^^。
オンラインレッスンをご利用頂くことも多くなり、私の側もノウハウを蓄積できてきたように思える。現在のコロナ禍だからというだけでなく、場所や時間の制約を払拭できる点で今後も使いうるものと思う。音質などクオリティ面では充分とは言えず今後の発展もあるだろうけれども、テレビなどと同じで発展途上の伸び盛りの時の方が面白いだろうかとも思う。発展途上の時が生き生きしているもの。
メディアによらずレッスンを含めたコミュニケーションは「生き物」であることが命なのだろうと思う。
対面でもオンラインでもレッスンは生き物であり命の通ったものであろうとしている。それは何かあった時に即座に反応が返すこと。もちろんお越しの方が練習不足で弾くのに精一杯な時は反応は最小限にするし(反応しても無意味だし)、その時点で重要ではない問題にはあえて見逃すこともある。だが、本人が自分でお気づきの場合は基本的には即座に反応するようにしている。逆に何の反応もないレッスンは死んでいるということ。先生側が寝ているレッスンがその際たるものだ。
楽器についても反応の多い楽器が良いものと思うし(でも扱いやすいわけではない)、音楽も聴くたびに多彩な表情を感じさせてくれるものが名曲であり名演奏。絵画や彫刻でもまさに動き出そうとしそうなものが名品だろう。そしてスペックよりもその「生き物感」がアートとしての評価の軸になるものだろう。
アートとは死んだものを生きたものにすることなのかもしれない。テクノロジーがオタクの趣味からアートにする時の課題とも言えるし、ハードとソフトの問題とも言える。
オンラインレッスンも最大の障壁は運用の仕方だろうと思ってやっていますです。

うちで最も「生き物」な楽器。日々調子は変わるし、見た目にも日々別の表情を見せてくれる
こういうのが面白いしアートなのだと思う(良い状態の維持は結構大変ですが・・・)。