骨董的ヴァイオリンは”思い”との付き合い

土日は東京にてレッスン。両日とも9コマ+9コマの18コマ!大変に多くのご利用&お越し頂き有難うございました。私もかなり頑張りました。

初めての方は緊張なさったかとも思いますが、私も緊張していました^^;。久しぶりの方もお元気そうで安心しました。長くお越しだった方が長いお休みの場合、ヴァイオリンが弾ける状況ではないけれど元気だろうかとは気になるものです(これまでには元気ではなくなってしまった方もおられましたので・・・)。

月曜日。近々オイル交換に購入店にでかけるため丁寧に洗車^^;自分の車は元々そのお店の社長さんが乗られていた車で「こんなにしやがって」と思われないよう気を遣う。きれいにして自分なりにオイルや冷却水など状態をチェックし、それから全体のチェックのためにも少し走らせた。洗車をしたためか車はご機嫌で、大変調子良く^^。

ヴァイオリンなどの楽器も同じように接している。ヴァイオリンも単なるモノであり、お金で買える商品に過ぎない。だが、所有者の思いを含めて受け継ぐべき楽器も一部にはあるものだ。

譲って頂いた方が特別な思いを持って接したヴァイオリンや弓、ギターも持っている(値段の多寡とは直接関係ない)。譲って頂いた方の価値観を尊重して、可能な限り消耗させないようにしつつ活用し、同じ状態のままに次の世代に譲るのがそういった特別なモノとの接し方。

それを骨董と言うのかもしれない。第三者から見れば単なるボロボロの古いガラクタだろう。でも価値観を共有する者同士にとっては、特別な”思い”が過去から現代、それから未来につながる。そこに骨董の意味があるのだろう。現在の所有者は自分であっても、歴史の中で自分は借りているだけのものだ。

音大生などが良いコンディションで残ってきた名品をギタギタにしてしまうのは、歴史的建造物に自分の名前を落書きする行為と同じで価値観が違うからだろう。受け継ぐべき”思い”は演奏の巧拙とは別次元のものだ。それが価値観の違い。

歴代オーナーの”思い”を受け継ぐこと。歴史の中で残ってきたクラシック音楽自体がそういうものでもある以上、そういった価値観を理解し大事にしたい。

例えば、こういう松脂は「骨董」の最たるものかもしれない
良さが分からない人には価値観が違うので分からなくて良いものです
そしてむやみに消耗させてはいけないものです

石田 朋也

1974年愛知県生。2000年名古屋大院修了。ヴァイオリンは5歳から始め、1993年よりヴァイオリンの指導を行う。大学院修了後、IT企業のSEとしてNTTドコモのシステム開発などに携わる。退職後の2005年より「ヴァイオリンがわかる!」サイトを開設し情報発信を行う。これまで内外の1000人程にヴァイオリン指導を行い音大進学を含め成果を上げている。また写真家としてストラディヴァリはじめ貴重な楽器を400本以上撮影。著書「まるごとヴァイオリンの本」青弓社

美しい音が好物。バッハ無伴奏がヴァイオリン音楽の最高峰と思う。オールドヴァイオリン・オールド弓愛好家。ヴィンテージギターも好み。さだまさしとTHE ALFEE、聖飢魔IIは子供の頃から。コンピュータは30年程のMac Fan。ゴッドファーザーは映画の交響曲。フェルメールは絵画の頂点。アルファロメオは表情ある車。ネコ好き。

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