芸術

土曜は東京にて日曜・月曜は愛知にてレッスン。8コマ+6コマ+6コマと東京は大入り大御礼、愛知は比較的余裕の日程でした。ご利用&お越し頂いた皆様有難うございました。日曜日の12月13日は亡き父の誕生日で生きていれば79歳になるはずでした。

今回オールドヴァイオリンの購入をご検討なさっている方がお越しになった。楽器をご相談頂いた際には意見は言わないようにしているので、楽器の状態や一般的な価格など客観的な説明の上、「しばらく弾いて飽きないか」で判断してはと助言させて頂いた。良質のオールド楽器は日々違う印象が得られ、弾く度・見る度に発見がある。それに嫌気をさすか楽しめるかが判断の分かれ目になり得る。ご参考にして頂ければと思う。

愛知レッスンの空き時間はドライブ。無目的に何となく向かいたい方向へ、曲がりたいところで曲がってと、ただ車に乗っていた。一応、自分がコロナの無症状感染者である可能性はあり得ることで、母に感染させるリスクを避けるため外出する事が目的ではあった。

芥川龍之介の遺作「或阿呆の一生」の次の文章がある。一部引用する。
「けふは半日自動車に乗つてゐた。」
「何か用があつたのですか?」
彼の先輩は頬杖をしたまま、極めて無造作に返事をした。
「何、唯乗つてゐたかつたから。」
その言葉は彼の知らない世界へ、-神々に近い「我」の世界へ彼自身を解放した。彼は何か痛みを感じた。が、同時に又歓びも感じた。

先輩とは谷崎潤一郎のこと。これが芸術の本質と私は捉えている。

ただ乗っていたかったから乗っていた行為。それに誰がお金を出すか?と思うはずなのに、時に少なくないお金が動く不思議な行為。私を含め芸術ぶっていてもやっている事は商売に過ぎない。商売としてお金を頂くのなら我を殺しお客様のために尽くさなければならず、それは芸術からは離れていく。そんな行為を芸術と勘違いしてはいけない。そのように自分では戒めているし、プロを目指すお子さんがレッスンにいらした時には機会ある時にその旨伝えている。

100年に一度の世界的危機の中、今ひとつ危機感を感じさせない政府の下で、特別に変化のない日常。退廃的にも厭世的にもなる。そこで独りで無目的に車を走らせるのはなかなかの芸術的行為だ。ましてアルトワークスにはカーオーディオはおろかラジオすらなく、ただ運転するしかない。実に芸術だ。

そしてそんな無目的・無意味な行為が自分にとって心の洗浄になったように思える(ついでにピロリの呪いも解けた)。心の洗浄も芸術的状態であるし、運転しながら色々思いを巡らす事もできた。想像力を励起、思考を広げる要素も芸術とも言える。ふむ^^。

美しい犬山城と夕焼け。犬山城までは車で10分程度。
何となく来たのは、ここが確かに自分の心のふるさとのひとつで心が命じたのだろうか。

石田 朋也

1974年愛知県生。2000年名古屋大院修了。ヴァイオリンは5歳から始め、1993年よりヴァイオリンの指導を行う。大学院修了後、IT企業のSEとしてNTTドコモのシステム開発などに携わる。退職後の2005年より「ヴァイオリンがわかる!」サイトを開設し情報発信を行う。これまで内外の1000人程にヴァイオリン指導を行い音大進学を含め成果を上げている。また写真家としてストラディヴァリはじめ貴重な楽器を400本以上撮影。著書「まるごとヴァイオリンの本」青弓社

美しい音が好物。バッハ無伴奏がヴァイオリン音楽の最高峰と思う。オールドヴァイオリン・オールド弓愛好家。ヴィンテージギターも好み。さだまさしとTHE ALFEE、聖飢魔IIは子供の頃から。コンピュータは30年程のMac Fan。ゴッドファーザーは映画の交響曲。フェルメールは絵画の頂点。アルファロメオは表情ある車。ネコ好き。

石田 朋也をフォローする
楽器や弓、アクセサリーの話お出かけしました思うこと