南三陸町、気仙沼市、陸前高田市に
土曜は東京にてレッスン。おひと方急遽お休みになってしまわれたものの7コマと多くの方にお越し頂きました。お越し頂いた皆様有難うございました。
3月15日の日曜日。私自身が演奏する予定だった東日本大震災のチャリティーコンサートが新型コロナウィルスの影響にて延期になった。その空いた日で訪問したことの無かった南三陸町、気仙沼市、陸前高田市に出かけた。
9年前の惨事は私には想像しかできない。瓦礫と呼ばれる誰かの持ち物。多くの失われた命。変わらざるを得なかった日常。想像に余りある事で、自らが経験していないよそ者に語る資格はないだろう。
震災の年に福島、宮城、岩手にわずかばかりのお金をふるさと納税をしたが、支援とはそういう事では無いと思うようになった。今回震災遺構も多く見たし撮影もしたが、グシャグシャになった残骸の写真はこの日記には掲載しない。それを現地の人が望むとは思わない。
震災遺構の意味は理解しつつ「素敵な景色があるよ。美味しい海の幸があるよ。なかなか良い所だよ。驚くべき新しい景色もあるけれどもその理由も少しだけ分かって」といくらかの人に伝える事が私にできる支援だろう。それで現地に赴く人が少しでもいれば、その方が未来志向と信じたい。
以下長くなりますが、よろしければご覧ください。
東北新幹線のはやぶさ号にて上野から仙台へ。
新型コロナウィルスの影響だろう。ガラ空き。
仙台からは土地の空気を感じたく屋根の空くオープンカーのマツダロードスター
タイムズレンタカーで冬季限定50%引きキャンペーン中でした
確かに冬に屋根を空けて走る物好きも少ないだろう
マニュアル車でいきなりエンストしました^^;
ここかしこに美しい梅が咲いていました。
ふきのとうなんぞも。
語る必要も無い松島。扇谷より眺める「幽観」と呼ばれる景色
けれども松島以外にも素敵な海と島の景色はあちこちにありました。
国道45号と398号を通って南三陸町へ。
南三陸町震災復興祈念公園の「祈りの丘」。あまりにも巨大な盛土。
ここは有名な震災遺構の場所。被災した建物の保存(土地の不幸を見せ物にする事)は
複雑な感情を含むが、「祈りの丘」は未来のこの土地の人が再び津波に襲われた時に
避難できる高台になるはず。その意義は大きいし津波の記憶にもなるはず。
気仙沼市に向かう。
宿泊は気仙沼「沖見屋」さん。この地で45年続く民宿で2013年に建物を再建したという。
宿の周辺はあまりに真っ暗でした。
生きているウニやらホヤやらどれも美味しい海産物が一杯。
翌日。雪の予報だったのが晴れ間が見えたので宿から近くの岩井崎へ歩いて散歩を。
絶景!松島よりわたしはこちらの方が絶景と感じた。
このように縦に割れる岩質のためか、通常見られない絶景がここかしこに。
岩の隙間に海水が通るのか水が吹き上げられたり、水位が違ったり
写真を撮ればどれもフォトジェニック
あちこちの土地で見られた防潮堤は新しい風景だろう。驚くほど巨大だ。
防潮堤が作られたところは津波に飲まれたところだ。
防潮堤自体が震災の記憶になるし、実際に起こったことを物語るともいえる。
宿に戻ってきたら宿の飼い犬がレンタカーの後ろで陣取っていました^^;。
気仙沼の港へ。
ずんだ揚げパンとごま揚げパンがなぜか港の魚屋さんに。意外と美味しく。
音楽スタジオやFMラジオ放送局を併設した先端的な施設「まち・ひと・しごと交流プラザ」。
陸前高田市へ。
「そばっち」と「わんこきょうだい」の工事用の柵。
今回見た最大の「施設」だ。現代の神殿と言ってよいだろう。
道の駅「高田松原」及び東日本大震災津波伝承館。
有名な松の木を拝見した直後に雪交じりの冷たい雨と強い風。土地に歓迎されていなくて「帰れ」と言われたようだ。この土地の3月中旬はこれほどまで冷え切るのだ。遮るものが無いからこれほどまで風が吹くのだ。身をもってその辛さの一端を知った。
走行距離410kmほど。雨が降った時を除いて屋根を空けて走って多くのものを見て、土地の音や匂い、空気も体験した。未だに多い「音の無い場所」に復興は道半ばの現実を突きつけられ、締まった冷たい風(車の暖房が無ければ凍える)。日焼けも。
帰りの東北新幹線。床に雪の結晶が書かれている事、知りませんでした。