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すみません。日記が少し空いてしまいました。いつもご覧の方には申し訳ありません。
火曜〜木曜は東京にてレッスン。先週お休みを頂いたためかと思いますが、今週も大変多くの方にお越し頂きました。私の側がレッスンの時間を勘違いしていて混乱してしまったケースもあり大変失礼致しました。お越し頂いた皆様有難うございました。
私事だが、じんましんは収束に向かっているようだ。効いたのは十味敗毒湯という漢方薬だった。対処療法的な薬ではなく身体全体のバランスを取るタイプの薬。夜中に何度も起きたりしんどい状態だったのが、昨晩はようやく途中で起きることなく眠れた。
身体の健康とクラシック音楽のヴァイオリンを上手く弾く事は似ているように思える。何かアンバランスな突飛な事ではなく、求めるのは究極のバランスだ(奇抜な事は一時的にはウケてもすぐ忘れ去られる)。でもバランスが取れて健全な状態は普通過ぎて有難味が無いし退屈かもしれない。
上手く弾けるようにならないというお悩みの方は多い。私もその一人だ。私は全然器用ではないので、習っていた時も目覚ましい上達感はなかったし、上手く弾けていない思いが強かったのであれこれ読んで試した経験は多くのヴァイオリン教師より多いかもしれない(その経験は今になってレッスンをする上で生きているが、今度はギターで同じことを繰り返している^^;)。
今になってみれば、子供の頃に長く習っていた先生も、大人になってから10年間習った先生も、きちんと教えて頂けていたのだと分かる。また楽典など音楽理論は重要な事を示していると今は分かる。けれども、昔はそれは分からなかった。レッスンはしんどい事の繰り返しだし、楽典なんて退屈と思ったし、楽譜通りの演奏なんてつまらないと思っていた。
自己満足できるように、さも上手そうに弾けるよう指導するのは簡単な事だ。音程を合わせさせて、アタックと雑音感の強いつんざく音を出して、速いテンポで感情過多に弾くよう指導すれば済むことだ。派手な演奏は周りにも称賛されるし、称賛されれば本人は嬉しい事だろう。「自分、すげー」とお客様に思わせる演出は世の中のサービス業の常だ。
けれども、健全な演奏とはそういうものではない。「音楽」と「楽器」が求めるままに自然なカーブで成り立っている造形が良質な音楽と信じる。あれこれ迷った挙句の結果だが、それが弾いている本人にとって自己満足できるものでは無いだろうと思う。あまりにも普通過ぎるし、究極の普通には終着点が無い。でも、お越しの方を酔わせるのではなく、健全な方向にお連れしたいと考えている。普通に健康的な状態が最も得難い事なのだから。