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土曜日は東京にて、日曜・月曜は愛知にてレッスン。日曜日の愛知レッスンは8コマと大変多くの方にお越し頂きました。お越し頂いた皆様有難うございました。しかし急激に寒くなりました。どうぞ皆々様お風邪など召されませぬようご自愛ください。
レッスンで「良心的な楽器店は?」というお話を伺った。店名も挙げながら思う事をお話させて頂いたのだが、「良心的とはどういうことなのか?」が後で気になって考えさせられた。
先日何かの事故の補償についてのニュースで「誠意が見られない」→「誠意とはお金の量だ」と記述があり、疑問に思った。「良心的というのもお金の量なのか?」。多分違う。相手との適切な接し方(お金と情報の交換の仕方とも言える)が誠意であり良心を示すものと思う。
人間関係の多くは情報のやり取りに過ぎない。モノの価値も情報であるし、五感は全て情報に過ぎない。その中で頂いたお金に対して適正な価値の情報を提供するのが良心的で、金額に見合わない情報が提供されるのが非道徳な行為となるのだろう(例えば、高い割にマズい料理店など)。
自分の仕事は良心的でありたいと思ってそれを実行している。価値があるのか確信の無い情報はSNSなど各種メディアで玉石混交で無料提供しているし、多少価値ある情報は書籍「まるごとヴァイオリンの本」に取捨選択して記した。レッスンの最大の価値は実体験だ。通常では得難い価値ある情報を提供しているつもりだ。
けれども、価値は受け手との価値観を共有できてのもの。価値を見出さない人に押し付けるものではない(長くお越しの方は価値観を共有できているのだろうと思う)。多様性を認めずあまりに排他的な提供者は良心的とは言えないかもしれない。
上記の楽器店の例では「良心的な楽器店=適正価格での提供と、長期にわたって価値を保証すること」だろうかなと思う。「適正な販売価格(=その骨董価値+利益+各種税金)で売り、売ったものをその骨董価値(=オークション価格程度)で買い取る」こと。売りっぱなしの業者、買い叩く業者は良心的とは言い難い。
あまりまとまっていませんが、ご参考になればと。