ホーム >
土曜日は東京にて、日曜日は愛知にてレッスン。お越し頂いた皆様有難うございました。世界遺産登録翌日の富士山。お隠れ遊ばされている。
いつも富士山が見えているはず。お隠れに。
また金曜日は楽器の勉強をさせて頂きにでかけた。新型の新幹線N700Aに初めて乗れた(^^)。
ボケているけれどもN700A。N700と違いはわからなかったけれど。
使っているオールド楽器を点検して頂いたら接着の剥がれが見つかった。梅雨時だからかなあ、全然気がつかなかった。接着して頂いたら、音の張りが少し強くなった気がする。
よく剥がれる右肩表板側が剥がれていました。これは接着後。
普通ヴァイオリンのレッスンというものは、「もっと力強く弓を動かして!!!」「もっと表現をして!!」という話が多いもの。けれども、うちでは「そんなに弾きにいかなくていいから」「楽譜通りに弾けばいいから」というお話が多い(だから子供への教育は行っていない。子供には一生懸命やらせるのも大切と思うから)。
どちらが優れているとか、どちらが正しいというものでは無いけれども(「正しい」「間違っている」と簡単に批判するのは程度が低いと思う)、音楽はプレイヤーが作りに行くものではないと思う。優れた曲なら曲を理解して、ただ普通に弾くだけで音楽になるもの。
クラシック音楽の場合、自己表現や主張は不要で曲を再現するのがやるべき事。むしろその方が、「何かすごいもの」が現れるように感じる。だから、神童が現れ、時には大人になるとダメになるのだろう。人間側が楽器に強要するのではなく、楽器から音楽をうまく取り出そうとするのが演奏。いらんことをしないのが一番難しいことではあるのだけれど。
※もちろん時代とともうに音楽のあり方も変わっていくので、ビート重視になっていくかもしれない。けれども、それはヴァイオリンでやる必要も無いと思うし、自分ならエレキギターにする。わたしエレキも含めたギターの愛好家であるし(^^;
今回も楽器店でトルテの弓を弾かせて頂いた。いつも思うことだが、トルテは個体ごとの弾いた印象のばらつきが少なく感じる。もちろん個体ごとの好みの差はあるのだが、どれも「良い弓!」と感じる。でも、重量や形は個体によって全く違う。
もう少し時代が下った有名な弓は見た目の個体差は少ないのだが、「これだったらXXの方がいいよね」「これでこの値段は高いなあ」と思うことも少なくない。
楽器店の方にいろいろ教えて頂くとトルテは非常に合理的にできていると思わされる。良い音が出て、弾きやすくなるように、よく考えられて作られている。結果を得るための形だから、見た目の個体差が出ても、音の個体差が少ないのだろうか。