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うっかり、寝間着にしているボロボロのTシャツを着てレッスンをしてしまいました。途中で気がついたので気が気ではなく。恥ずかしい(-_-)。
水曜日・木曜日は東京にてレッスン。今回も多くの方にお越し頂き有難うございました。ただ木曜日は体調を崩されてお休みになった方が多く、普段に比べてとても余裕のあるスケジュールになりました。体調にはくれぐれもお気をつけ下さい。
とある方にお話させて頂いたこと。「挫折してしまうのが不安」という事。
わたしは挫折してもいいと思っている。でも、そのときのダメージはなるべく大きくならないようにしておくべき。ヴァイオリンを始めたばかりで高額な楽器を買ってしまうと、挫折の時のダメージが大きくなるので、当面はレンタルでいいのでは、といった意味。
習い事には「途中で投げ出すのは悪」という先入観がある。でも、「習い事をする」のが目的ではなく、「ヴァイオリンであればヴァイオリンをうまく弾けるようになること」が目的で、「習い事」は手段に過ぎない。そのあたりが不明瞭になると自分を追い詰めてしまうことになってしまう。
仕事の場合はそうも言ってられないが、趣味であれば、それぞれがそれぞれの形で楽しんで頂ければ良いのだから。レッスンは楽しみ方の一面をお伝えできるものに過ぎない。
ふと当たり前のことに気がついた。楽器の話になると、よく「300万円のヴァイオリンを弾いた」などの話になるが、これは通常は仕入れ価格ではなく、売値なんだよなと言うこと。「300万円で買ったヴァイオリン」という話は、「当時300万円だった」ということに過ぎないこと。
ヴァイオリンに限らず、モノの評価は価格に惑わされがち。もちろん売値も売りたい商品であれば売れる価格をつけるものなのだけれども、売値そのものに実体があるわけではない。
そうなると、「弓は楽器の値段の3割」なんて話も全く意味がないと言える。この場合は、「そのヴァイオリンを鳴らす力を持った弓」が本来の意味のはず。
当たり前と言えば当たり前だが、「良い実体を持ったモノを割安に」が最善なのだろうと。案外難しいことではあるが。