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水曜・木曜は東京にてレッスン。今週も本当に多くの方にお越し頂き有難うございました。わたしも先週の土曜日から連続でレッスンお疲れ様でした。木曜の朝なんぞは夢の中でもレッスンをしていたので、それはもうお疲れ様(^^;。
「才能」というと子供の能力を指すように思えるが、大人だって才能を持った方がいらっしゃる。わたしはヴァイオリンを通したことしか分からないが、いろんな分野で「才能あるおじいちゃん」「将来有望なおばあちゃん」だって存在することと思う。
今回のレッスンにいらっしゃった方に、スピッカートをはじめてやって頂いたらいきなりパーフェクトだったというケースがあった。いつもお越しの方だが、「この人、スピッカートの才能がある!」とわたしの方が驚いた。実際、「全く問題ない!」とお伝えした。
最初から良い音を出す方、最初からヴィブラートやスピッカートができてしまう方など、少なからずいらっしゃる。これはやはり「才能」なんだろうと思う。別の言葉で言うのであれば、進むべき方向とその力加減が最初から適切にできた方ということだろうか。
ただ、「才能」があって最初からできてしまう方は、わたしには少し心配。しばらく進めていくうちに、違う方向に進み始めてうまくできなくなってしまうケースがあるから。逆に、なかなかうまくできない方でもそれほど心配はしておらず、着実にできるようになって、正しい方向に進んでいくことが多い。
わたし自身は演奏の才能はあまりなかったのだろうと思う。スピッカートもヴィブラートもなかなかうまくできなかったし、音程も確かではなかった。才能があったと自分で言えるのは「技巧的フラジオレット」だけ。ああでもないこうでもないを続けて、現在もうまくできていないが、何をどうしたら成功しやすいかは何となく分かるようになった。
それぞれの進み方があるのだなあと思わされました。
最近、さだまさしやALFEEのCDをよく聴いている。今、この記事もALFEEの「新世界」を聴きながら書いている。わたし、さださんやALFEEの25年来のファン(というほど熱くはないが)でして。こう書くと世代がわかりますな(^^;。
さださんやALFEEいずれも70年代フォークのひと。変異を繰り返して現在に至るのだが、いずれも音・音楽に強いこだわりを感じる。ALFEEは坂崎さんがキーパーソンと思う。邦楽の中では、それ以外には聖飢魔IIを好んで聴くが、これも音や音楽へのこだわりを強く感じる(聖飢魔IIは音が非常に厚いし、リズムもベースも凝っている)。幅の広さと言うのか、懐の深さというのか。
70年代・80年代の同世代の音楽の中には、とても古くさくて聴くに耐えないものも多い。演奏や歌が上手だったのに聴くに耐えないケースもある。この差は何なのだろう。
HPのための記事として、「ヴァイオリンを仕事にするには」といった内容の記事を書き始めている。長い間存続し続けている・売れ続けているとは、何度でも聴けると言うことはどういうことなんだろうかなと思いながら。