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水曜日・木曜日は教える方のレッスン。今回も多くの方にお越し下さり、お越し下さった皆様有難うございました。さすがに先週の土曜日から連続してレッスンをしているため疲れてきてはおりました。
とある方とお話したこと。
しっかり、大きな弓でと弾くよう指導されることが多いのは、昔の日本の住宅が響かないことによると思う、ということ。
70年代頃までの日本のポップスはとても音が薄く、また、時々音が歪んでいることが多い。一昔前の洋楽と邦楽では明らかに音の太さに違いがある。映画の世界でも、むしろ歪んだ音の方が迫力を出すと考えられていたように思える(昔の黒沢映画のセリフなど)。
響かない場所では、強い圧力で弾いた方が迫力があるようには思えるけれども、強い圧力で弾くのは例えるならばスピーカーの振動板を手で押さえているのと同じと考える。これでは素直な音は出ない。
昔の指導者が怠惰だったわけでも、間違っていたわけでもないと思う。美意識の違いと思うし、そういう音が使える場合もある。けれども、うちはなるべく楽器の響きを止めないように、楽器の邪魔をしないようにと弾くのを推奨したいと思う。
最近、長岡鉄男というオーディオ評論家の文章を読み返している。わたし自身以前からこの人の文章は好んで読んでいて、「ヴァイオリンがわかる!」の方向性を決める面でも大いに参考にさせて頂いている。
オーディオとヴァイオリンの世界は似ている面があると思う。非論理的な説、金にものを言わせたようなスタンス、霊感商法まがいなグッズが跳梁跋扈している面など類似点は多い。長岡氏は、お金をかけないスタンスで、論理的にオーディオ機器を評論する人物であった。
ヴァイオリンを良い音で弾くためには、物理的な論理に則ってできるものとわたしは思っている。また、それほどお金をかけなくても充分良い音は得られると考えている(ヴァイオリンは楽器の中では高額なものではあるけれども)。
改めて自分の方向性が間違っていないかな、と確認がしたくなった。
ヴァイオリンの世界は高級感ある世界とされているとは思う。けれども、うちは全く高級感なくそっけない。楽器も激安、オーディオ機器に関してもうちはローコスト、CDやDVDなどソフトもほとんどが中古品。お金はもちろん多くあった方が嬉しいし、良いものを使いたいとは思うのだけれども、お金にものを言わせて高級感をもたせようとは思わない。
「芸術にお金を惜しんではいけないよ」という言い方があるけれども、金にものを言わせたような「芸術」ほど鼻持ちならないものはないと思う。大きなお金は自分を実態以上に大きく見せようとする見栄や自己満足にかかるものだからなのだろう。
理由は分からないけれども良い音になった、ではなく、物理的に正しい方へ工夫した結果良い音になったというスタンスにしたいとは思っている。それはローコストでできることと思っている。正しいかな?