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しょうゆサイダーを頂いた。この手の飲料は両極端なのでやや緊張感を抱きながら飲んでみる。
強炭酸でコップにつぐと泡だらけ。コーラのような色。
飲んでみるとこれがまた結構いける(^^)。しょうゆの味はほのかに、サイダーの味が中心になっていて、ちゃんと飲める。発想はエキセントリックであるものの、それを高いクオリティのものにしようと、まじめに商品開発を行っている光景が想像できる(^^)。
なおかつ、大変に親切な案内文。(^^;
水曜日は東京にてレッスン。8コマとなり今週も非常に多くの方にお越し頂き大感謝です。台風のような風の中、お越し頂き恐れ入ります。
この日は自分の楽器が良い音がしていた(^^)。楽器と言うよりは弓の調子が良かったようだ。多分気候が丁度良かったのだろう。こういう時はレッスンをしていて自分でも嬉しく思える。
よく言われるように楽器は日々音が変化するもので、「今日は機嫌が悪い」など人間のように感じることもしばしば。実際には温度・湿度で物理特性が変わるのだろうし、弓の松ヤニの具合も日々変わるはず。人間の方も弾き方が日々変化するもの。でも、それが総合的な結果として音が「生きた」ものになったり「死んだ」ものになるようだ。
この「生き物感」は楽器の中でもヴァイオリンが最も顕著に現れるように思える。また演奏する音楽そのもの生き物と言える。新旧問わず、化石のようなヴァイオリンもあれば、化石のような音楽もある(「動物の謝肉祭」ではないが)。死んでる弓もあれば、立ち止まってしまっている演奏もある。
音楽は生きたものでありたいとわたしは思う。楽器にしても、演奏にしても。
あ、この内容の文章どっかで書いた気がする。ま、いいか(^^;。もうどこで何を書いたか分からなくなっているし。